感じる脳

情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ

アントニオ・R・ダマシオ

(田中三彦訳,ダイヤモンド社,2005年)

Looking for Spinoza

: Joy, Sorrow, and the Feeling Brain

Antonio R. Damasio,Harcourt Brace & Company, 2003

アントニオ・R・ダマジオ氏は「身体」を重視する有名な脳科学者であり本書は彼の最新の著作である。そしてこれを紹介するためには、彼の思索の過程を少し遡る必要がある。

最初の著作『生存する脳』において、彼は「情動」と「感情」を区別した。ここに彼の思索の原点があると言えるであろう。われわれは怖いと感じるから、その結果として身体が硬直したり心臓がドキドキしたりすると考えるが、彼は、怖いものを見て特有の身体変化(情動)が生じるから、その後に怖さの感情が生じるのだと考えた。そして身体と脳のシームレスな相互作用が不可欠と考えたのである。これを踏まえて、彼は人間の意思決定に関わる「ソマティック・マーカ仮説」を提案した。ソマティックとは「身体の」という意味である。これは意思決定における情動と感情の役割に関する仮説であり、脳が選択のオプションを思い浮かべると、身体が自動的に反応し快不快の感情が生じ、それによって瞬時にオプションが絞り込まれると考えた。つまり意思決定は合理的ではなく情動と感情によって絞込みがなされた後、その結果が合理的に解釈されるものと見做された。

さらに2番目の著書『無意識の脳 自己意識の脳』においては、感情についての更なる考察が加えられた。感情はどのように認識されるのかという問題にまだ答えていなかったからである。そこで感情を持つことと、感情を持つことを認識することは異なる状態と考え、意識が感情を神経的・心的パターンで表象していると考えた。これは自己意識の構築における情動と感情の役割が議論されたものと言えるであろう。そして本書において遂に、感情とは何か、感情は何をもたらすかという問題が取り上げられることになった。これは心身問題の克服に資するだけではなく、将来の人間観や社会観の構築にも不可欠である。そしてスピノザの思想との関連において、これらの大問題が議論されている。やや難解ではあるが、上記の3冊を通して読まれることを薦めたい。

なおダマシオ氏の提起する問題は脳科学だけに限定されない。本COEプロジェクトとの関係では、人間の社会的インタラクションの支援において忘れてはいけない視点である。彼のソマティック・マーカ仮説に基づけば、身体を介する共感なしに人間の社会的振舞いやその倫理的側面をサポートできないことは明らかであろう。

(三宅美博:COE-ABSSS 協調行動グループ)